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ゲーム四川省からみる世界 [ゲーム]

『四川省』というゲームをご存知ですか?
有名なパズルゲームなのでご存知の方はたくさんいらっしゃると思います。

8列×17列に並べた麻雀牌の中からルールに従って同じ牌を取って行き、
すべてなくなったらゲームクリア、というゲームです。

最近、パソコンゲームで四川省をやる機会があって、
集中してやりこんでいたときに感じたことがあります。

ルールに従って取れる牌があるのですが、
不思議なのです。

自分ではすごく集中してすべての牌を見ていると思っているのですが、
「簡単に取れる牌が全然見えていないことがある」のです。

こんなに見ているのに・・・見えていない。
とっても不思議です。
視界には確かに入っているのに、認識していないのです。
しかも何気なく見ているわけではないんですよ。
集中して探しているんです。
それなのに見えていない。

と、いうことは・・・。

たとえば車の運転をしているとき。道を歩いて渡るとき。自転車で走っているとき。
わたしたちは、しっかりみているつもりでも、きっと重要なことに気付かないことがあるんです。

ここで問題なのは、
『自分は見えている』と信じて疑っていないところだと思うのです。
もし、「自分は見えているように思っているけれども、実は見えていないことがある」と思っていれば、
きっと少し行動が変わると思うのです。

「自分は見ている!間違いない!」って断言する人をどう思いますか・・・?
なんか、危険な気がしませんか?

けれど、きっと交通事故に遭ったりする場合、
「自分は間違いない」という思い込みがあったりするのではないでしょうか。

それから・・・。

視覚的なことだけではなく『心』についても・・・。
眼で見ているものも見ているはずが見えていないのに、
人の心の中ともなれば、眼で見えるものじゃないのに全て知ることは無理と思いました。

それでも、人というのは、
何かの出来事や一つの言動などから、それが全てと思い込んで一喜一憂してしまう。

けれども、もし、
「わたしが見えているのは一部分だから、それだけではない」と思うことができたら・・・。
「眼で見ることも出来ない心を全て知ること自体出来ないことなんだ」と納得できていたら・・・。

わたしたちは必要以上に傷ついたり落ち込んだり、傷つけたり、孤独になったり
しなくて済むようになるのではなかなぁ・・・と、そう思ったのです。

世の中、疑心暗鬼や被害妄想がトラブルに繋がっていること、きっと多いと思います。

で、なんの話だったかというと、
「ゲームの四川省をやっていて、こんなことを思いました」というお話。


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